自家焙煎珈琲豆と厳選紅茶の専門店
■相模原市東林間5-15-4 TEL:042-745-2559

寄稿/「珈琲新鮮館」店主沼田秀二



2007.07[14]3パーセントのくせもの
2007.05[13]バッハは大のコーヒー好き
2007.03[12]再び嗜好品について
2007.01[11]不均一のおいしさ
2006.12[10]カプチーノってなに?

2006.10[9]エスプレッソについて 2

2006.09[8]エスプレッソについて 1

2006.07[7]数センチの味覚センサー

2006.05[6]アメリカンコーヒーの誕生
2006.03[5]コーヒーのおつまみはセレナード

2006.01[4]初物は好きですか?
2005.11[3]味を言葉で表現するむつかしさ
2005.09[2]お茶を楽しむ/月のころはさらなり
2005.07[1]七夕とお茶

2007.7

[14]3パーセントのくせもの

 コーヒー豆の保存方法についてたびたび質問されます。結論から言いますと「コーヒー豆は保存しないほうがよい」のです。コーヒー豆は外見からするとカラカラに乾いた「乾物」の状態を呈していますが、じつのところ外観からは想像もできない繊細な生き物なのです。肉や野菜などの生鮮品と同じ感覚で扱うことが望ましいのです。
 コーヒーの生豆は焙煎という火を入れる加熱操作によって全く別のものに変化します。焙煎中に複雑な化学反応が連鎖して起こり、あのコーヒー独特の味と香りを持ったものに生まれ変わります。この焙煎過程でコーヒー生豆に存在する炭水化物や脂質が加熱分解して全く別の分子を作り、俗に言う「カフェオイル」を作りだします。コーヒーのあの独特の味と香りはこのカフェオイルによるものです。このカフェオイルには数百〜千もの化学物質が含まれており、いまだにすべてが確認されているわけではありません。従ってこの味と香りをコーヒー以外のもので人工的に作り出すには至ってはいないのです。
 このカフェオイルは焙煎されたコーヒー豆に重量で3%以下程度含まれているに過ぎません。あとの97%以上はカスと言っては何ですが、いわばカフェオイルを保持する担体のようなものです。しかし、この3%が私たちがコーヒーとして認識する味と香りそのものなのです。厄介なことにこの3%が揮発性で酸化しやすい「くせもの」でもあります。焙煎した直後から味と香りは衰退の一途をたどります。また、焙煎されたコーヒー豆には多量の二酸化炭素(炭酸ガス= )を含みます。ドリップで入れたコーヒーの粉が膨らむのはこの炭酸ガスが湯の熱によって膨張するためです。しかし、この膨らみも焙煎して3週間も過ぎるとなくなってきます。挽いた粉は1日でこの膨らみが消滅するのはご存知の方も多いかと思います。炭酸ガスの消失と同時に香りの成分も揮散してゆくと考えたほうが妥当です。コーヒーは豆で購入して、2週間程度で使い切るのが理想です。ご自身でコーヒーをいれるようになるとそのことに気がつきます。

2007.5

[13]バッハは大のコーヒー好き

 ソナタが楽器で演奏される音楽形式であるのに対して、カンタータは声楽曲です。ソナタが「鳴らす」と言う意味のSo
nareから派生したのに対して、カンタータは「歌う」という意味のCantareが語源。17世紀初頭にイタリアから生まれ広くヨーロッパに伝播していくのですが、前後してコーヒーがエチオピアからアラビア半島〜トルコを経てヨーロッパに伝わります。資料によれば1640年にオランダのアムステルダムにコーヒーハウスと称するカフェが誕生したのを皮切りに、1645年にイタリアのベネチア、1650年イギリスのオックスフォード、1669年フランスのパリ、1679年ドイツのハンブルクと急速にコーヒーハウスが誕生してゆきます。ヨーロッパでコーヒーハウスが普及した理由の一つに社交・談笑・情報交換の場としての利用があったようです。
 偉大な作曲家、バッハ(J.S.Bach:1685〜1732)が生きた時代、ドイツにもたくさんのコーヒーハウスがありました。バッハは大のコーヒー好きだったようで、こうしたコーヒーハウスにもしばしば出入りしていたに違いありません。バッハは約200曲にもおよぶカンタータを作曲しています。多くは宗教的な内容の教会カンタータですが、一方で王侯貴族や著名人の祝日用など、いわゆる世俗的な内容のカンタータも作曲しています。その中で通称『コーヒーカンタータ』(正式にはカンタータ第211番「静かに、だまって、しゃべらないで」1732年)を作曲しています。当時のコーヒー熱を反映したもので、コーヒー中毒?の娘をなんとか直そうとする父親の話。「ああ、なんて甘いコーヒーよ。1000回のキスよりも素敵。もうコーヒーなしではだめ」という娘。やめないと結婚させないと言う父親。しかし、母親や祖母までがコーヒーのとりこになってしまう。おしまいは「だれが娘を責められようか」という合唱で終わる。近年の「コーヒールンバ」(昭和37年、西田佐知子が歌ってヒットした。後に井上陽水もカバーリング。知らないかな?)の元祖と言えるのかもしれません?

2007.3

[12]再び嗜好品について

かつてこのコラムで「コーヒーは嗜好品」と書きました。嗜好品の「嗜」は難しくて覚えにくいものですから私はその字体から「老いて日々口にする好きなもの」と勝手に解釈して書きました。その後折りにふれてこの言葉の意味を目にしてきたのですが、訂正することもなく今日まで引出しのなかにしまい込んでいました。この「嗜」は「たしなむ」という意味があります。もともとは「会意文字」といって個々の漢字を結合して両者の意味を合わせて書き表す方法で、「耆」は老(としより)+旨(うまい)の会意文字で、長い年月をへて深い味のついたものの意味を含んでいます。また「旨」も「匕」(さじ)+甘(うまい)の会意文字でさじを添えたうまいごちそうの意味。したがって「嗜」は「口+旨」で、深い味のごちそうを長い間口で味わう意味となります。
 このところテレビやマスコミである種の食品がダイエットに効果があるとか、それが捏造データであったとか、にぎやかです。コーヒーに関しても過去に似たような放送や記事をみてきました。それらの主な内容は、血液の循環をよくする、脂肪を分解する、利尿作用に優れ体内の毒素を排泄する、老化の原因である活性酸素を消去する等々いろいろありました。ある記事ではコーヒーが動脈硬化を予防する善玉コレステロールを増やす効果があったとか。著名なコーヒー業界のひとがこの記事を確認したところ、この実験では、市販の缶コーヒーが量が一定のためデータをとるのに都合がよいので用いたと。砂糖やミルクが入っていたか否かは不明です。
 一見情報量が多いと思われる今の世の中、消費者は自分で判断するのが難しく惑わされやすい。特に健康やダイエットといった日頃関心の高い話題に関しては尚更です。このため難しそうなことをあたかも分かりやすく解説する情報には飛びついてしまう傾向にあります。私はコーヒーに関しては、その薬的効果を語ってくださるな、と常々思っています。コーヒーは嗜好品。生命を維持するために必要なものではありません。無駄なものかもしれません。美味しいと感じる人がおもむくままにゆっくりと味わい、ひとときのくつろぎが得られたならそれで充分、と思っています。

2007.1

[11]不均一のおいしさ

 あけましておめでとうございます。初詣には行かれましたか? それとも箱根駅伝を見ながらおせち料理にお正月を堪能されているのでしょうか? その気になれば、デパートや通販でも手に入る時代なのに、ここ何年来おせちにはありつけていないかわいそうな私。ま、いっか!せめてお気に入りのコーヒーでもいれて、と。「お正月、開けておいてくれるといいんだけどな」というお客様の一声から始まった元日営業も恒例となってしまった当店。お客様にはお待たせ時間が長くなり、ご不満も多いかと思うのですが、それでも毎年顔を出して下さる方もあり、ありがたいやら、申し訳ないやら、と思いつつ今年も元日のみ営業しています。(年初は6日からの営業となります)。
 今までお客様が当然のごとくコーヒーにお砂糖やミルクを入れるのを漠然と眺めていたのですが、エスプレッソやカプチーノに取り組むようになって、コーヒーと砂糖・ミルクとの相性みたいなものに今更ながら関心を持つようになりました。なにも入れないブラック派、ひと口飲んで砂糖やミルクを入れる方、いきなり両方を入れる方など様々です。どうぞお気に召すままに、なのですが、あまりよくかき混ぜないで飲むことを提案したいと思います。カップの中で不均一に混ざっていたお砂糖やミルクが、口のなかで混ぜ合わされることによって時間的・空間的な広がりを持つように感じられるのです。また、カップの中の上と下でお砂糖やミルクの濃度差が生じ、飲みはじめと終わりで違った味が楽しめる様に思います。先にこのコラムで、多くのイタリア人はエスプレッソのカップの底に残ったお砂糖をスプーンですくっておいしそうにその余韻を味わう旨のことを書きました。カプチーノも同様です。カップの中のエスプレッソとフォームドミルクは上下で不均一になっていると思われます。混ぜないことによって、時間差で一杯のコーヒーを楽しめます。コーヒーに限らず、世の中にはこうした事例は数多くあります。私は、パンとバターを食すとき、均一にぬらないで、ちぎったパンの上にバターをのせて口のなかでミックスした方がおいしいな、と思います。「おせち」だってミキサーで全てを混ぜちゃったら、想像したくないです。すべての調理は口の中に最終工程があるのかもしれません。。

2006.12

[10]カプチーノってなに?

 コーヒーと乳製品との相性は抜群にいいようです。コーヒーにミルクを入れるとまろやかになります。コーヒーとケーキは最高の組み合わせではないでしょうか。いづれも乳製品のなせるわざと言ってもいいでしょう。カフェオレやカフェラッテはご存じの方も多いのではないかと思います。前者はフランス語、後者はイタリア語です。「オレ」も「ラッテ」も「ミルク」を表しています。日本流に言えば「コーヒー牛乳」または「ミルクコーヒー」と言ったところでしょうか。現在は、ほとんどが「エスプレッソ」に温めたミルクを加えたものが主流です。
 では、「カプチーノ」とはどんなものなのでしょうか。結論から言いますと、エスプレッソにスチームで温めたミルクと、スチームで泡立てたミルクをのせたものです。この泡立てたミルクはフォームドミルクと言いますが、上手につくられた泡はふわふわでもなく、シャバシャバでもない、とろりとしたムース状のものになります。エスプレッソにスチームドミルクとフォームドミルクを連続して注いでつくられますが、エスプレッソの上にある茶色の泡(クレマと言います)とグラデーションをつくり、茶色で縁どられた白い泡がカップの上面にこんもりと形づくられます。
 頭に被るフードまたは頭巾のことを「カプッチォ」と言いますが、もともとはローマカソリック教会の一派である〈カプチン修道僧〉が被る法衣の頭巾によります。エスプレッソにスチームドミルクとフォームドミルクがカップにこんもりと注がれた飲み物は、ちょうどカプチン修道僧の「カプッチォ」に似ていることから「カプチーノ=小さなカプチン修道僧」と呼ぶようになったと伝えられています。
 この「カプチーノ」はカフェオレやカフェラッテとも異なる濃厚さと甘味が備わったデザート感覚の飲み物で、エスプレッソとミルクのベストマッチと言えます。エスプレッソと乳製品の出会いと言えば、冷たいバニラのアイスクリームに熱いエスプレッソを注ぐ、ただそれだけ。「アフォガート・アル・カフェ」と言うシンプルなデザートですが、いけますよ。

2006.10

[9]エスプレッソについて 2

 あの苦い、濃密なエスプレッソ、それでも「イタリアで飲むエスプレッソは格別」と旅行者は言います。イタリアの乾燥した気候風土によるものか、あるいは数々の世界遺産に酔いしれ、高揚した気分がそう言わせるのか。それとも本当においしいのか? よくよく聞いてみるとエスプレッソと称しているものは「カプチーノ」であることが多い。このカプチーノはエスプレッソにスチームで加熱・泡立てたミルクをのせたものです。あの苦く、濃いエスプレッソが香り高いムースのような飲み物に劇的に変わります。日本で独自に進化したドリップコーヒーは砂糖もミルクも入れずに飲む方が多いのですが、エスプレッソは最初から砂糖またはミルクを入れることを前提につくられた様にも思えます。
 イタリア語のエスプレッソ(espresso)は、英語のエクスプレス(express)で〈急行の〉もしくは〈速い〉と言う意味です。ドリップコーヒーは注いだ湯が重力によって落下し2〜3分を要してつくられるのに対して、エスプレッソは高温の蒸気圧によってその名のとおり20〜30秒で抽出されます。またexpressには〈搾りだす〉と言う意味もあって、瞬間的にぎゅっと搾りだすという、抽出法にも通じています。さらに〈expressly〉と副詞的に用いた場合は〈わざわざ〉または〈特別に〉と言う気持ちを表し、まとめてたくさんいれるコーヒーと違って、小さな一杯のために特別にいれると言うニュアンスもあると聞きます。
 エスプレッソは、ドリップコーヒーになれ親しんだコーヒー党にとっても初めは違和感があるかも知れません。しかし、コーヒーが嫌いという人はともかく、日常コーヒーを愛飲している人であればやみつきになるような個性を持っています。この味と香りのエッセンスは、いれたてを直ちに飲むことでその良さが体感できます。飲み方も「エスプレッソ=急行」である必要があります。時間をかけて飲むと気の抜けたビールのように苦いだけの飲み物に変わってしまいます。

*次回はエスプレッソの代表的なバリエーション、カプチーノを詳しく述べます。

2006.09

[8]エスプレッソについて 1

 スペイン階段から見下ろすと、正面がコンドッティ通り。日本でも知られる一流と言われるブランドが軒を連ねています。この通りの入口近くの右にローマ最古のカフェ「グレコ」があります。1760年創業と言いますから、このコラム(3月号)で書いたモーツァルトが生きた時代(1756〜1791)に開業しています。のちに西洋文明の担い手となった偉大な作家や音楽家はもとより、日本の昭和天皇もここを訪れています。入口側はパンコ(カウンター)でエスプレッソが確か3ユーロ(450円位)、奥の2部屋はテーブル席で約3倍くらいの値段になります。観光客は「せっかく来たのだから」と賑わっています。一本裏通りに入るとBAR(パール)の表示があちこちに揚げられ、多くは立ち飲みのコーヒー=エスプレッソが主流のカフェです。こちらは平均1ユーロ(150円位)。イタリア市民はもっぱらこちらを利用します(私も)。イタリアではコーヒーと言えばエスプレッソまたはミルクフォームをのせたカプチーノです。もっとも大都市には、日本でもおなじみのハンバーガーショップもありますから、同等のブレンドコーヒーもないわけではありませんが。
 エスプレッソは苦手、と言う人は多いと思います。苦みが強すぎると言うのが大きな理由のようです。同じコーヒー豆を利用するコーヒー飲料であるのに味も香りも濃密です。デミタスカップで30ccが標準で、日本のドリップコーヒーの平均150ccと比べると1/5の量も日本人には馴染まないようです。お酒に例えると同じ葡萄(ぶどう)を原料とするワインとブランデーの差に似ている様にも思います。
 イタリア人の多くはこのエスプレッソにお砂糖を入れて飲みます。あの苦かった飲み物がビターチョコレートの様に変わります。最後にカップの底に残った砂糖を美味しそうにスプーンですくって楽しむことも日常的です。私は仕事がら何も入れずに味と香りを確かめますが、イタリア人からすると「おまえはエスプレッソの飲み方を知らないのか」といった視線を感じます。
   ・・・つづく

2006.07

[7]数センチの味覚センサー

 わずか数センチ、時間にして1秒〜数秒に命を賭けている人たちがいます。飲食の世界でいかにして美味しい料理や飲み物を提供できるかと頑張っているシェフであったり、パティシエであったり、お酒やビールその他飲料の開発に携わる人たちです。ご家庭の主婦であっても、愛する家族のために腕に撚りをかけて夕飯の支度に励みます。
 そうした料理や飲み物がおいしいと感じたとき、幸せな気分と満足感にひたることができます。奥様には多少とも気をつかい「おいしいよ、ありがと」などとやさしい言葉も発せられます。
 一方で、たかが束の間の数センチ、あとは消化器管という管(くだ)、所詮胃袋に入ってしまえば同じよ、と少々乱暴な人もいますが。さてあなたは?
 味覚は口の中、即ち口もとから喉もとまでの間に存在する舌という数センチの味覚センサーが、熱い冷たい、甘い辛い、食感、風味などの情報を脳に発信して旨いまずいを瞬時に判断しています。さらに食べ物や飲み物の過去の記憶を蓄積して、見た目(視覚)、香り(臭覚)などからも旨そうだ、まずそうだと判断します。すごいことです。
 人には、生命を維持するためと同時に、食を楽しみたいという願望があります。その楽しみを手助けするものに嗜好品があります。栄養摂取を目的としない楽しみの、いわば味覚センサーに最も試される飲食物と言ってよいでしょう。
 私はコーヒーという嗜好品と日々向き合い、自身の、そしてお客様の味覚センサーに試されています。飲み物が口もとから喉もとを通過する時間は1秒にも満たないでしょう。その一瞬の間に美味しい、まずいが判断され、味、香り、風味が求められます。ここで言う香りは、鼻から入ってきた匂いであり、風味は口から入った香りが鼻に抜ける際に感じる匂いです。私とお客様の味覚センサーが一致し、共感できたらいいな、と思いながら生豆を選び焙煎と取り組んでいます。

2006.05

[6]アメリカンコーヒーの誕生

 喫茶店やコーヒーショップ(カフェ)には必ずと言っていいほど「アメリカン」があります。おおかたのイメージは「苦みの少ない薄いコーヒー」ではないでしょうか。「コーヒーの香りは好きだけど苦味はちょっと」と言う方は多くいます。私の店のメニューには「アメリカン」はないのですが、お客様の嗜好は様々ですから、当店ではコーヒーの注文に際しては、濃いめ、普通、薄めの好みを伺ってオーダーを受けています。それでも「アメリカン!」と言う方もいますので、察しておいれするようにしています。
 さて、この「アメリカン」にはこんな歴史があります。「ボストン茶会事件」というのをご存知でしょうか? 1773年、当時イギリスの植民地だったアメリカのボストンで、港に停泊していたイギリスの船3隻の積み荷の紅茶を海に投げ捨てたという事件です。それまでイギリス領アメリカでは紅茶が盛んに飲まれていました。しかし、イギリスからの紅茶は高価なため、オランダやデンマークの安価な紅茶が密輸されていました。そこでイギリスはアメリカにおける紅茶を独占する専売方策をとったため、密貿易で利益を得ていた茶商たちが、イギリスの植民地政策に反発を強めていた愛国派たちと連携し、およそ100名の男達がインディアンに扮して夜襲し、紅茶箱342個(約45トン)を海中に投棄したのです。これをきっかけにアメリカのナショナリズムが高まり、独立戦争へと発展し、1776・7・4の独立宣言に至るのです。反英国的な感情が愛国的な証しとして紅茶からコーヒーに移行し、少しでも紅茶に近い薄めのコーヒーが誕生しました。以来、アメリカでは紅茶に似せた薄めのコーヒーが定着し、敗戦後の日本の舶来趣味?に乗じた喫茶店が「アメリカン」を流行らせたというわけです。もっともこの「アメリカンコーヒー」は日本独特の呼び名で、欧米では通じません。薄めのコーヒーを注文したい時はweek coff
eeまたはlight coffeeと言うのがよいと思います。


目には青葉 山ほととぎす 初鰹 
             素堂  


2006.03

[5]コーヒーのおつまみはセレナード

 今年はモーツァルト生誕250年の節目で、様々な催し物が行われると聞きます。私のようなながら族は、音楽に真正面から対峙して聞くことは稀で、いつも何かをしながらの事が多い。新聞や本を読みながらであったり、コーヒー豆のハンドピックをしながらであったり、パソコンに向かって事務処理をしながらであったりします。その時の音楽はジャズバラードであったり、クラシックであったり、イージーリスニングであったり、様々です。そのなかで、私にとってのモーツァルトはモーツァルトさんには大変失礼かと思いますが、優しい、美しい旋律は「ながら族の邪魔にならない音楽」とでもいえます。
 モーツァルトが生きた1756年〜1791年、その時代はどんな時代だったのでしょうか?中学生にもどって世界史をひもとくと、音楽の世界ではモーツァルトが生まれる6年前(1750)にバロック音楽の巨匠バッハが亡くなり、次いでヘンデルが亡くなっています(1759)。ハイドン(1732〜1809)、ベートーベン(1770〜1827)も前後して活躍した時代です。あのナポレオンが生まれたのが1769年、フランス革命は1789年に勃発しました。イギリスでは産業革命が進展し、1765年にジェームス=ワットが蒸気機関を改良しています。ご存じアメリカの独立宣言は1776・7・4です。ずいぶん懐かしい名前や事象がでてきました。
 そのころの日本は江戸時代。1853年、ペリー来航まで鎖国政策が行われていました。唯一、長崎の出島が外国との窓口で、今風に言えば貿易特区でした。出島への出入りを許された限られた日本人が、西欧の文化に接していました。その中にコーヒーを飲用した事実が文献等に記されています。しかし、一般の日本人がコーヒーを飲みだすのは開国後、長崎、神戸、横浜、函館等に外国人居留置がつくられた以降になります。
 今宵はそんなモーツァルトが生きた時代に思いを馳せながら、お気に入りのコーヒーをいれて、おつまみにモーツァルトのセレナード第13番ト長調K525「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」(一曲の小さな夜曲=小セレナードの意)聞いてみようかな。


春の宵 香りと弦に癒されて 
           珈琲職人  


2006.01

[4]初物は好きですか?
 元日。年の初めの日。何となく心が改まった感を抱きます。初詣は神社や寺に参拝。初夢の後は初売りに出掛け、書き初め(かきぞめ)もします。初稽古もあって初場所も始まり、初仕事。多くのひとは「初」に多分のこだわりがあります。そこには古くからの日本人の信仰心が重なって見えます。「初物」は本来まだ誰も手をつけていない物であったり、その季節に初めてできた穀物や野菜や果実であったりします。初物は神様にお供えして、五穀豊穫を感謝してからいただく風習もあります。初物七十五日と言って、初物を食べると75日生き延びるとの言い伝えもあるようです。
 昨秋のボージョレヌーボーを楽しんだ人も多いでしょう。ご存じフランスボージョレ地方の新酒ですが、全出荷量の5割が日本向けだとか。多分にマスコミがはやし立てている感もあります。初夏の新茶、初がつお、そして新米。四季の区切りがはっきりとわかる日本人好みなのでしょう。紅茶にもファースト・フラッシュといって、特にダージリン茶で茶摘みシーズンの最初の頃に摘まれたものは高値で取り引きされています。しかし、英国などでは茶摘みシーズンの最盛期に摘まれたセカンド・フラッシュの方がしっかりとしたコク(ボディ)があって、特にミルクティには好まれる傾向があるようです。日本でも「初がつお」よりも秋の「戻りがつお」のほうが脂がのっていて旨いと言う人もいます。
 コーヒーには初物はあるのでしょうか。ご存じの方も多いと思いますが、コーヒーは赤道をはさんで北緯・南緯25度の範囲で生育します。言わば常夏の国で四季ははっきりとせず、あっても雨期と乾期です。収穫は乾期の時期ですが国によってこの時期は異なります。日本で言う冬の時期に収穫している国々もあります。国際コーヒー協定で定めているコーヒー年度は10月1日が新年度の始まりの日となっています。この日から収穫されたコーヒーが言わば新豆となります。
 一年の計は元旦にありと言います。オープンして12回目のお正月を迎えました。今年も例年どおり元日だけは店を開けます。焙煎機に火入れをして焼き初めの儀式(?)も行います。皆様におかれましても良い年でありますように


初夢の 思い出せねど よきめざめ 
            恒禮子

2005.11

 [3]味を言葉で表現するむつかしさ

 テレビの料理番組で出来上がった料理をゲストが食し、感想を述べる場面。「あまい」「まろやか」「やわらかい」「ジューシー」と言ったコメントが多い。視聴者は出来上がった料理の品を見ながら味を想像し、美味しそうだったら作ってみようか、と思ったり一度その店に行ってみようか、という気になったりもするでしょう。料理本にしても、美しいカラー写真があってこそ、チャレンジしてみようと言う気になるというもの。もっとも、食材や料理そのものに精通しているひとなら、レシピを見ただけでも、文章を読んだだけでもでき上がりを想像できるのでしょうが。しかし、一般には味を言葉だけで表現するのはとても難しいと思います。食べ物や飲み物を初めて食すとき、ひとは味覚の他に視覚、嗅覚、触覚などをはたらかせて、さらに過去の経験をも加味して自分の好みか否かを判断するのだと思います。
 ワインを紹介する本。著名なソムリエのコメントの例。「色調は黄金色がかった濃いイエロー。黄桃やトロピカルフルーツのコンポートに木樽からのロースト香、トースト、白いスパイス、ほのかに土の香りなどを感じ複雑。味わいはふくよかな果実味が広がって、コクがあり、酸味もしっかりとしており余韻が長い。12〜14℃がのみごろ。」とあります。ワイン通の方は、このコメントで購買動機につながるのでしょうか?
 コーヒーも味をお客様に伝えることがとてもむつかしいと思います。先のコメントの中で「コク」という言葉がでてきます。コーヒー豆をお買い求めのお客様にも、「コクのあるのがいいわ」と言われることが多々あります。語源は「酷」と書き、本来中国で酒などの深みのある濃い味わいを示す言葉です。ワインで言えば「ボディまたはフルボディ=Body or
Full Body」。「深み」「濃厚」「重厚」と言う表現が適切で、「軽やかさ」「さらりとした味」の対局にあるものと思います。なのに飲料のCMなどで「さっぱりしていてコクがある」などの表現をするものですから、コク=美味しいものと思っている方も多いようです。「酸味はだめ、苦みもだめ、まろやかでコクがあるコーヒーをちょうだい」といいます。晩秋。お気に入りのコーヒーでゆく秋を楽しみたい。


秋深き 隣は何を する人ぞ 芭蕉

 寄稿/「珈琲新鮮館」店主沼田秀二

2005.09

 [2]お茶を楽しむ/月のころはさらなり

 前回、お茶は摘み取った後の加工方法によって緑茶、紅茶、烏龍茶に変わると書きました。緑茶は摘み取った生葉を高温の蒸気で蒸し、茶葉のもつ酵素による自然発酵を止め、熱で柔らかくなった葉を手で揉みほぐしながら形を整え乾燥させたものです。このシンプルな製造工程から、かつてヘレンケラー女史が来日した際、「月のしずく」と表現された日本独特の繊細な緑茶が生まれました。一方、紅茶になる工程は緑茶に比べるとやや複雑です。摘み取った生葉を適温に設定した部屋に広げて一日程度置くとしおれてきます。これを委凋(いちょう)と言います。次いで揉捻(じゅうねん)と呼ばれるローラーで揉む作業にかけられ、このとき葉の持つ酵素が空気と反応して発酵が起こります。そのあと湿度の高い部屋に運ばれ発酵が進展します。その間、積み上げられた茶葉は熱を帯び、葉色が黄色から赤茶色、そして暗褐色に変化して紅茶となります。烏龍茶は委凋にかける時間を短縮し、発酵の15%程度の段階で加熱して発酵を止めて、その後揉捻、乾燥させたものです。この基本的な製造工程に加えて、茶樹が育つ気候風土が生産地独特のお茶をつくりだします。
 ところで、オレンジペコーという言葉を聞いたことがありますか? 私の店でもこれまで何人かの方から「オレンジペコーという紅茶はありますか」と聞かれた経験があります。紅茶の茶葉は新芽の先端部分を摘み取りますが、茶葉の最先端をフラワリー・オレンジ・ペコ、2番目の葉をオレンジ・ペコ、3番目の葉をペコと呼ぶのです。通常は先端からやわらかな2枚の葉のみを摘み取り紅茶に加工されます。オレンジの風味のする紅茶ということではありません。もっとも、あとから着香といってオレンジやアップル、ローズ、シナモンなどの香り付けを行ったフレーバーティといったものもあります。その代表的な紅茶が柑橘系の香りをつけたアールグレイでしょうか。
 暑かった夏も終わり、温かな飲み物がおいしく感じられる季節となりました。お気に入りのお茶とお菓子でお月見など、悪くないですねえ。

名月をとってくれろと泣く子かな
             
一 茶

 寄稿/「珈琲新鮮館」店主沼田秀二

2005.07

[1]七夕とお茶

 7月7日の夜、天の川の両岸にある彦星と織姫星が年に一度会うと言うロマンチックな星祭り。もともとは中国伝来の祭事で、陰暦7月7日の夜、供え物をして牽牛星・織女星(けんぎゅうせい・しょくじょせい)をまつり、女子が手芸に巧みになることを祈る風習と日本のはたを織る女(たなばたつめ=棚機女)の信仰とが習合したものだとか。奈良時代に宮中の儀式としてはじまり、江戸時代になって一般庶民にも広まったと言います。五色の短冊に歌や字を書いて竹に飾り、書道や裁縫の上達を祈るという風習は今や郷愁の世界です。平塚・仙台の商業観光化した祭りも風物詩ではありますが、幼稚園の年中行事に行われる小さな竹飾りのほうが原点に近いものかもしれません。
 七夕の風習が日本に伝来した同じころ、「お茶」も中国から伝えられました。今や日常茶飯事と言われるように、日本人の食事とお茶は欠かせないものとなっています。また、安土桃山時代に千利休によって開かれた茶道は日常の飲み物から日本独自の精神的な文化にまで昇華されて、現代に引き継がれています。
 一方、中国のお茶はシルクロードを通ってモンゴル、イラン、イスラムの国々へ伝播してゆきます。ヨーロッパにお茶が伝わるのは16世紀以降で、お茶は紅茶となって次第に世界のすみずみまで普及してゆきます。お茶の木は椿科の常緑樹ですが、栽培される地域の気候風土によって茶樹が変化し、摘み取った茶葉の加工処理によっても緑茶、ウーロン茶、紅茶と変わります。西洋に渡った紅茶は、砂糖やミルク、香辛料等々を加えてにぎやかです。それに対して日本のお茶の飲まれ方はいたってシンプル。ウイスキーのCMではありませんが、「何も足さない、何も引かない」です。狩猟民族と農耕民族の差なのでしょうか? 日本人も紅茶やコーヒーには砂糖やミルクを入れるひとが多いのは、これらの飲み物が西洋から伝来したことによるものと思われます。

 

(ねがう)
希ふこと少なくなれり星祭り
品川鈴子