◆◆◆東林間見聞録

寄稿/宅井治朗

2006.11◆猪年に因んで◆
2006.8◆名物 東林間のお祭

2006.6◆「親睦の要」東林間神社
2006.4◆いいとこ、わがまち、東林間
2006.2◆節分祭豆まき
2005.12◆老の健康法
2005.10◆間

2006.11

 ◆猪年に因んで◆
  今年もあと二ヶ月で終り。新しい亥年を迎える。どこの年賀状にも、その年の干支に因んだカットが入り、色々なアイデアが楽しみだ。来年亥年は猪突猛進、目標に向って突進する威勢の良い年である。猪といえば豚の先祖かな?くらいに思っていたが、ある佛教の法話によると、本場の中国や韓国では、亥は即豕、豚のことだという。そして日本以上に珍重され重用されていたらしい。正月の始めての豕(亥)の日に初市、初売りを行い、縁起のよい「こと始め」の日と設定されたとか。日本の初年とちょっと違うかも知れないけど、似たようでもある。
 前述の通り来年の干支は亥だが、抑々干支とは、十干(甲乙丙丁戊己庚辛壬癸)と十二支(子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥)と組み合わせ、綜合して干支といい、六十年に一回廻ってくるので六十才を還暦という。因みに来年の干支は丁亥である。参考までに亥年生れの人は忍耐強く向上心に富んでおるが頑固、若年の成功者が多いと言われている。
 「西遊記」に登場する「猪八戒」は豚の妖怪で口に牙があり、「猪八戒」「豚八戒」ということらしい。また猪は野猪に限らず毒蛇をよく食べるとか、豚も蛇毒を好むという。これは猪が毒蛇の毒を感じないからだという。インド神話でも宗教と猪は関わりが深く、ヒンドウー教の猪は、ヴィシユヌ神の化神という物語もあるという。
 昨年、米牛肉のトラブルで、食品界に一騒ぎあり。豚肉の価値が上り、重宝がられた記憶は新しい。
 猪は野生だから山林開発が進むと、他の鳥獣類と同様、食料不足で、農作物を求めて畑を荒らし、どこの農家も困り果てている。私の郷里広島の親戚でも、郊外の畑作農家だが昨年猪に襲われ、瀕死の重傷を負わされたという話もある。猪は自然動物だから滅亡させてはよくないが、増え過ぎても困る。人間の生活優先を前提として、何とか人猪共存の良い方法はないものだろうか。

2006.8

 ◆名物 東林間のお祭◆
  夏がきた。祭の季節がやってきた。こども達はいろんな祭に参加して、楽しい想い出に、ふるさとづくりに心を弾ませています。
 本紙上で幾度か紹介したように、夏祭の第一陣は商店街中心の阿波踊りです。相模原市夏の三大祭、観光イベントとして人気も高まり、今年十五回目を迎え、地域の各自治会や神社等諸団体の協力に加えて上鶴間中学校、上鶴間高校の生徒たちもサポーターとして賑わいに参加してくれるとか、昨年の十五万余を上回る観客が期待されるところです。
 八月四日(金)前夜祭
   五日(土)
   六日(日)
シャンテ大通りを歩行者天国として大
々的に開催されます。ご来場下さい。
 〜御祭礼〜
 東林間神社はやし連は、中和田はやし連指導の下、昭和五十年結成以来三十一年目を迎え、小学生を対象とした若い「連」も立派な大人に成長し、その子たちと大小コンビの組み合せで祭礼に奉納されています。
 おはやしのルーツについて中和田先輩の話によると、源頼朝が鎌倉に幕府を開いた頃、武将相手に楽しんだ娯楽の一つといわれ、また八代将軍吉宗の時代、江戸に神田ばやしが生まれ、庶民の情操として珍重せられ、地域ごとに脚色伝承されたものとのこと。江戸末期、神田ばやしが多摩川を渡って川井、町田を経由して中和田に遷り、前述の通り、当はやし連は「神田浜の手ばやし」として伝授されたものです。
 東林間の伝承文化、郷土芸能として継続発展させるよう、各家庭、学校等でもご理解をいただき、子ども達のふるさとづくりの夢を育てあげられるよう、ご協力をお願いします。
 東林間神社ご祭礼には、この他地元芸能愛好者の歌や踊りや、若手有望プロ歌手等の奉納演芸も予定されております。お誘い合せの上多数ご来場下さい。

2006.6

 ◆「親睦の要」東林間神社◆
  当地の氏神さま東林間神社の由緒については、数年前本誌見聞録で記述したことがあるので、ご覧いただいた方には、二番煎じの感も致しますが、今年は偶々神社創建五十年という記念の年に当り、尚祭礼も近づいてきたので、近年在住された方への参考までに、少し神社のご紹介をしたいと思います。
 当東林間地区は明治二十一年に開拓が始まり数軒の農家がありましたが、大正六年それぞれの家の守護神として白笹稲荷神社のご分霊を祀り崇拝してきました。昭和四年、小田急江の島線開通に伴い徐々に民家も増え、鎮守様をお迎えしようということになり、武勇の神として知られた鎌倉鶴岡八幡宮のご分霊をお受けすることとなりました。ご祭神八幡様は応神天皇、神功皇后の御二柱で武運、商運に勝れた神様、受験を志す若者の間でも人気の高い神様です。
 現在の神社境内地は、昭和二十六年、小田急電鉄から東芝林間病院建設用地として売られた際、当該古木家の耕作地に稲荷様と炭焼竈があったので、代替地として贈典された土地(四七七・七六坪)に建立することとなり、昭和三十一年東林間神社が創建され、稲荷様は境内社として鎮座されることとなりました。
 これらについては、初代総代長古木稲太郎氏、時の市会議員山下千代松氏を始め、開発先駆者の並々ならぬご尽力と、一般住民氏子の人たちの協力によるものが大でありました。
 昭和四十年には境内地の一角に児童館が建設せられ、未来を担う子どもたちの健全な修練の場ともなり、また高齢者の楽しい憩いの場として、みんなの集い、語らう「親睦の要」として親しまれております。
 神社では、初詣、節分祭等四大行事を始め厄掃い、商売繁昌の祈願祭など、地域の皆さんの生活安全祈願をつとめております。また祭礼の余興には、有名無名の芸能同好者の演芸披露も賑っており、多くのご参加を歓迎とのことです。

2006.4

 ◆いいとこ、わがまち、東林間◆
  きびしい寒さもようやく和らぎ、桜花の季を迎えました。この時季になると、決まって悩ましいのが「花粉症」です。山村生まれの私たちには、聞いたこともない新語でしたが、昔は自然の大地が吸収していたものが、コンクリートやトタン、瓦など、近代建築では吸収されないから、花粉が街に溢れ飛散するわけです。
 こんな都会化された街ですが、交通利便で、自然災害に強い東林間は、今もマンションブームがつづき、転入される方も多いわけです。その新しく来住される方々の為に地域のリビング・ガイドをしてみましょう。
 公共施設や行政面のことは、自治会や商店街の情報であらましお解りかと思いますが、お買物関係ではスーパー三店、コンビニは辻々に、業種毎の個店も数々あり、日常ものは地元で間に合うことが多いと思います。また飲食関係の店も軒を連ね、スナック、喫茶、カラオケなど昼夜の健全娯楽で楽しめる街です。
 東林公民館は文化祭、体育祭等ふれあいとコミュニティの場となり、子供たちの広場児童館は、この地の氏神様東林間神社と並び同じ境内地にあります。神社の初詣参拝客は東林間駅近くまで並び、節分祭の豆まき、秋のご祭礼の賑わいなど盛況で憩いと親睦の中心となっております。
 商店街のイベントは、春から秋にかけて三回ありますが、中でも八月初め「サマーわぁ!ニバル」と名づけた阿波踊りは、相模原市夏の三大祭りの一つともなり、駅前大通りにて近郊から十数万人の踊り子、観客が街に溢れ、見ごたえのあるメインイベントとなっております。
 その他、ふれあいと健康づくりの為の散策道として、街の中心部を南北に走る水道みちと県営の緑道があります。神社から駅前へ、そして東芝林間病院周辺一帯のさくら廻遊をワンちゃん道づれのお散歩でお楽しみ下さい。
(詳しい内容やこの他の情報については、読売新聞タウン情報誌担当者までお問合せを。)

2006.2

 ◆節分祭豆まき◆
 節分祭豆まきの由来について、数年前本紙見聞録で記述したことがありますが、ご覧になっていない方のため一部再録してみましょう。
 (高島易断解説) 「陰暦と太陽暦のズレを補い、暖、暑、涼、寒の季節の推移を暦法との調整のため、一年を二十四に分けて節気を配置したものを二十四節気といい、その最初の正節が旧暦正月始め、新暦では二月四日ごろ立春となり、その前日を節分という」とあります。
 節分は、仏教とともに中国から伝来したもので、豆をまいて鬼を追い払う習わしも、中国の邪気払いからきており、神社、仏閣を始め一般家庭でも、豆まきが行われるようになったものです。
 また柊の小枝に鰯の頭を焼いてさし、民家の戸口や窓に飾るという習わしや地方によってさまざまの伝統や風習があるようです。私の郷里広島の北部山村では、焼いた鰯の頭を農耕用の牛の角にしばりつけて、牛の健康と農作業の安全、豊穣を祈り、旧の年越しを祝う習わしがあり、子供の頃をおもい出します。
 東林間神社では、昭和四十二年、当地開発功労者の山下千代松さんのアイデアで始められ、今年三十九回目を迎えます。東林間の楽しい伝統的風物詩の一つになっております。
 豆まきは、近隣の氏子崇敬者の年男(女)が百名位参加(その年の干支にこだわらず)家内安全、商売繁盛を願って、裃、袴のいでたちで鬼は外、福は内のかけ声とともに、福入りの豆をまきます。二月三日1時から3時まで五回、豆袋には縁起のよい五円玉と七等までの等級別紙札が入っており、米、灯油、洗剤やお菓子など、多くの景品が当たるそうです。
 皆さんも、地元の氏神様で今年の厄払いと幸運招来を祈願して、年男(女)に参加されたり、親子づれで豆拾いにゆき、年に一度の豆まきをお楽しみ下さい。詳細お問い合せは東林間神社へどうぞ。 (電話七四三―ー七八〇五)

2005.12

 ◆老の健康法◆

  人間誰でも元気で永生きしたい、楽しく暮らしたいと思うのは当然でしょう。家族、近隣、友人等みんな仲よく過せたら最高の幸せと思います。それには、毎日を明るく、前向きに生きるよう心がけが大事です。
 かく言う私も、八十五才の今日まで、原爆被災を始め、数々の災難、大病を経験し、何度も死線を超えて生きのびられた幸運を感謝しながら、これから先も、一日でも永く、与えられた寿命を有意義に暮らしたいと希っています。
 しかし、気持だけ頑張っても、体が伴わないと楽しくない、不調な時は早目に医師と相談して健康保持に注意が肝要です。
 そこで憚り乍ら、私が平常心がけている健康法について(希望を含め)申し述べてみたいと思います。一つでも参考になれば幸甚です。


  1. 朝起きたら深呼吸、ラジオ体操の真似して我流の柔軟体操をする。
  2. 腕立て伏せを三十〜五十回やる。
  3. 両掌を合せ揉みながら、五十回以上こする。(新陳代謝を促進する)
  4. 歩け、歩け、一歩でもよけい歩く。東林間には、水道みちなど散歩コースは一パイある。(私は足が悪くて歩けないのが残念)
  5. 氏神様、先祖のお詣りする。(これまでの健康を感謝、これからの安全を祈る)
  6. 有難う・すみませんの気持を忘れずに。
  7. 会う人すべて同じ齢と思う。(自分の齢を忘れる)
  8. 大声で唄う。(カラオケがよい)
  9. よく眠り、よく食べる。
  10. ケイタイ、メール挑戦中。
  11. 呆け防止に漢字を書く。(字引きを見ない)
        (木へん)、 (さんずい)、(にんべん)、 
        (しんにょう)、(ごんべん)、 (いとへん)
       など、それぞれの漢字、いくつでも書けるだけ書いてみましょう。
     各項全部できたらきっと人生楽しくなると思います。

2005.10

◆間◆
  幼稚園の先生が、園児たちに歌の練習をしながら言った。
 「皆さん、車にひかれないように歌のおけいこしましょうね。みんなが揃って上手に唄えるようになれば、交通事故にあわないようになるし、しっかり覚えて、よくそろって唄いましょうね」と。その通り、理屈でくどくど交通ルールを説明するより、幼児たちには一番わかり易い、たしかな教え方かも知れない。
 歌をうまく合唱できるということは、呼吸を合わせる、「間」をもたせる、リズムにのる  世の中の流れに調和することである。交通ルールに逆ってスピードを出し過ぎたり、信号無視などしたら、忽ち事故を起して大怪我をしたり、尊い一命を失うことも毎日のできごと。園児たちが上手に合唱できることは、知らず知らずのうちに、人の輪づくり、適当な間をもつ協調性を培う道のりであると思う。生活のリズム、節度、節目、それらを理解できることが「間」のとり方でもある。
 「間」とは、物と物との間、間隔、すき間、建物の間どり等意味するが、自身の呼吸の合わせ方、他と調和する呼吸でもある。
 人間国宝ともいわれる大家、名人の作品も間のとり方、職人芸の極意は神技ともいえる。歌舞伎の名優の演技、名歌手の間のとり方(吾々素人のカラオケだって間のとり方はとても大事だ)など、挙げれば限りないが、代表的な例として世界のホームラン王、王貞治氏の一本足打法の絶妙な間のとり方、イチロー、松井にもいえる。世の中すべてリズム、間のとり方次第。日常生活の基本である。
 争いや犯罪、事故の絶えないせち辛い世の中で、自分の生活のリズム、人間関係の調和するリズム、間合いを忘れずに楽しいくらしを目ざしたい。園児たちがうまく合唱できるようになれば、交通事故防止につながり、協調の意識を体で覚えてくる。明るい将来に期待したいと思う。