近頃妙な話を聞く事がある。はしかは一度患ったら二度とかからない病気だとされていたのに、子供ではない二十才以後の成人が、大学閉鎖を招いたりしている。海外に出る機会の多い時代でもあったりで帰国後に狂犬病の土産に驚かされているとか、とかである。
ある種の経験と体験に依る自分なりの一定の自信と確認があった時代が、最近になってなんとなく頼りなくなってしまった様な気がする。此の道を往けば間違いなく思いの程度は達成出来る、なんて思わされたり教えられたりして来た事が多かったから、何の疑いも持たずに素直に育ったなんて思い込んだり思い込まされていたのかもしれない。未だ未だ入口の端にいて人生を語る資格もないのかも知れないなあと、思いのままに生きるすべも知らない自分に気がついたりである。
そう言えば、人間関係のこと等もそれぞれに変ってきているのかも…というより、思いやりとか心遣い等と言われてきた事も又同じに不明了で不安な存在になってしまっている様に思える。昔聞いたセリフであるが、「生まれる時は別々だが死ぬ時は一緒だよ。」とか誠しやかに聞き流した風もあったやに覚えている。人は長命になっているせいか生命を終るのが頭突になっているのではないだろうか。昨日元気でお会いした方が突然に他界された等と、伝え聞くに及んではあんまりでは無いだろうかと思ってしまう。今、小生の頭の上を一匹の蝿が飛び廻っている。普段であれば少々うるさい奴だなぁで済んでしまう所だが、思い入れがある時等は、今は亡き友が形を変えて会いにきたのかと、目の敵にしている蝿であってもいとおしいと思ってしまう。感傷的になっているが故であるのはわかっている。万事が如く、思いが要因である。
人生とは何ぞやとか言うものでもあるまいが、年令を重ねてくると希望とか野望とかを思い乍ら未だ未だと思っていた頃ではない事に、少しずつではあるけれど気がついてくるのだ。そして己れの視覚の庭が見えて来て夢に気がつくのだ。そうは言っても夢はみるもんだよ。
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